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仙台地方裁判所気仙沼支部 昭和58年(ワ)10号 判決 1985年3月30日

原告 国

代理人 小澤義彦 阿部則之 佐藤雄蔵 ほか七名

被告 株式会社茂木六商店

主文

一  被告は原告に対し仙台地方裁判所気仙沼支部昭和五七年(船)第一号船舶所有者等責任制限事件の責任制限手続が廃止されたときに限り、金二八六四万七八九二円およびこれに対する昭和五七年八月一一日からこれが完済まで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者双方の求めた裁判

(原告)

一  被告は原告に対し、金二八六四万七八九二円およびこれに対する昭和五七年八月一一日からこれが完済まで年五分の割合による金員を支払え。

二  訴訟費用は被告の負担とする。

との判決ならびに仮執行の宣言

(被告)

一  主位的に

1 原告の請求を棄却する。

2 訴訟費用は原告の負担とする。

二  民法七一五条を請求原因とする訴に対し予備的に

1 被告は原告に対し、仙台地方裁判所気仙沼支部昭和五七年(船)第一号船舶所有者等責任制限事件の責任制限手続が廃止されたときに限り金〇〇〇〇を支払え。

2 訴訟費用は原告の負担とする。

第二請求原因事実

一  事故の発生(この事故を以下本件事故という。)

第二管区海上保安本部気仙沼保安署所属の巡視艇「ささかぜ」(二六・二三トン、国有財産)は、次の衝突事故により損傷した。

1  事故発生時 昭和五七年八月一〇日午前一一時一七分ころ

2  事故発生場所 宮城県気仙沼港朝日ふ頭北西端定係桟橋(北緯三八度五三分、東経一四一度三五分)

3  加害船舶

船名等 第五五幸栄丸(二八三・六四トン)

所有者 被告株式会社茂木六商店

船長 宮城県本吉郡唐楽町字中一二一の一 鈴木利市

用途 まぐろはえ縄漁業

4  事故の態様 前記場所に停泊中の「ささかぜ」の右舷中央部付近に航走中の第五五幸栄丸の船首部が衝突

5  「ささかぜ」の損傷 (一) 右舷舷側部

一四番から一九番フレーム(肋骨)が、一六番及び一七番フレームを中点として内側に約五〇センチメートル曲損

一三番から二〇番フレームの内側機関台桁板からチヤイン部の船底外板に座屈による凹凸が生じ、その結果肋板、船底縦肋骨、機関台桁板及びチヤイン材が座屈及び変形した。

(二) 左舷舷側部

八番から一〇番フレームの外板上縁部及び防舷材は圧潰し、梁上側、甲板梁に座屈を生じ、上甲板が浮上した。

一二番から一五番フレームの船側外板が上縁部で曲損し、梁上側板及び甲板梁に座屈を生じ、上甲板も圧潰した。

(三) その他、機関室、上部構造、船型及び推進軸系等の軸芯部など多くの箇所に損傷が生じた。

二  損害

本件事故により原告は、「ささかぜ」の海難復旧調査費及び修繕費等合計二八六四万七八九二円の損害を被つたが、その損害内容は(別紙)損害額一覧表記載のとおりである。

三  本件事故の原因と状況

本件事故は、第五十五幸栄丸(以下「本船」という。)の推進機(可変ピツチプロペラ)の自動遠隔操縦装置である変節ダイヤルの電気系統配線が主機関各種ゲージ集合盤の角に接触し、摩擦によりその配線の被覆が損傷していたため、電気が右集合盤とシヨートし、変節ダイヤルが機能しなくなつたこと(遠因)と本船乗組員の操船上の過失(近因)が相俟つて生じたものである。即ち本件事故当日午前一一時ごろ、第五五幸栄丸は、船長鈴木利市、漁撈長鈴木孝市ら総員一九名が乗り組み、南太平洋海域でのまぐろはえ縄漁操業のため、気仙沼港港町岸壁を離岸した。船長は離岸後、所要の速力を得べく可変ピツチプロペラ装置の変節ダイヤルを五度に操作したところ、翼角指針が最大の一五度に振れ、速力が急激に増したので急ぎ零度に戻したが指針は戻らなかつた。そこで、近くの朝日ふ頭に接岸して右の故障を修理しようと考え、漁撈長が非常用の押ボタン装置により推進機を、また、船長が操舵装置を、それぞれ操作して翼角を五ないし六度に設定して航走し、「ささかぜ」の停泊場所から北東方向約九〇メートルの地点において、右応急用ボタン操作によるテストを行うべく後進をかけたところ、急に船尾が左側に振れ、船首が進行方向右四五度に向きをかえ、そのまま前進惰力により「ささかぜ」の方向に向けて前進し、「ささかぜ」に衝突したというのが本件事故の概要である。従つて、本件事故の近因は乗組員による押ボタン操作等の誤りの航海上の過失であるが、右変節ダイヤルが正常に機能していれば本件事故は全く生じ得なかつたのであるから、右変節ダイヤル故障の原因となつた電気系統配線の欠陥による不堪航も本件事故と因果関係を持つものというべきである。

なお、変節ダイヤルの故障原因が前記電気系統配線の被覆の損傷にあることは、本件事故直前の昭和五七年六月二五日に清水港で変節ダイヤルの故障を起こすまでは本船は何らの故障も起こしたことがなく、また、本件事故後の同年一〇月二五、六日頃に南太平洋上において同様の故障を起こした際、前記電気系統配線の被覆の損傷を発見して補修(帰港後に新品と取替え)して以来、全く変節ダイヤルに異状を生じていないことから明らかであると思われる。

四  被告の責任原因

(その第一次的主張 民法七〇九条に基づく責任)

本船船主たる被告には、以下(一)および(二)として述べるとおりの被告自身の過失とみるべきものが存し、被告は民法七〇九条に基づき自己の不法行為の結果として本件事故による原告の損害を賠償する義務がある。

(一)  物的堪航能力調査、保持義務違背の過失

(1) 本船は、本件事故前の昭和五七年六月二五日、清水港へ入港する直前にも装備の可変ピツチプロペラがハンチング現象を起し変節ダイヤル操作では制禦不能となるという本件事故時と類似の故障を起した。被告は右装置の製造業者であるかもめプロペラ株式会社(以下かもめプロペラ社という。)に修理を依頼した。同社のサービス特約店である平井船舶工業所の平井利男らが臨場して調査し、追縦発信器内のポテンシヨンメーターの配線のハンダ付けが取れかかつているのを発見してそれを修理したところ、右変節ダイヤルは正常に作動するようになつたので、それ以外の電気系統配線等の調査点検については被告からの指示もなく行わなかつたものである。しかし、推進機のプロペラがハンチング現象を起こす原因は、ポテンシヨンメーターの右異状によつてのみ生ずるものではなく、配線の被覆が損傷し電気がシヨートしているような場合にも起こり得るのである。

右のような推進装置の故障は航行の安全に重大な影響を及ぼすものであるから、船主としては特に重大な関心を払わなければならないところである。しかも、十分な原因究明の措置を講じなければ、再び同様の故障を生ずるかもしれないことは、容易に予見しうる。したがつて、船主たる被告としては、右故障の修理を業者に依頼するに際し十分な原因究明の調査点検を依頼すべきである。しかるに、被告の代表者は清水港に居合わせながらその指示を十分行わず、また、被告の船舶の安全航行の責任者たる亀谷専務も、かもめプロペラ社に技術員派遣要請の電話をしたのみで十分な原因究明の調査点検依頼はしていないのである。したがつて、この点において被告には船主としての堪航能力調査義務及び保持義務違背の過失があつたというべきである。

右の点について被告は、専門家に修理を依頼して修理完了の報告を受けている以上、船主たる被告には何らの落度はないとして「コンパスの不具合から事故を起こした船の船主が、その事故の前に定評あるコンパス調整人に調整を依頼し、調整が実施されたことを確認した事例で船主に過失はないとしたイギリスの判例」を引用するけれども右判決は、コンパスに調整不良があつても船主自身としてなしうる最善の措置をとつていれば、調整人に過失があつても船主自身のフオールト(fault)とはならない趣旨を宣明するものである。したがつて本件のように、船主から十分な原因究明の調査点検の依頼がなされなかつたことから、修理業者も操舵室の配線をチエツクしたのみにとどまり、操舵室から機関室に至る配線や機関室内の配線の点検を行わなかつた場合には、むしろ船主の過失が肯認されるのである。

(2) また本船は、船舶安全法五条に基づく中間検査を受けるために昭和五七年七月二日から同月二七日までの間、気仙沼港所在の株式会社小鯖造船鉄工所に入渠し点検を行つているが、その際、被告は推進機担当の株式会社新和機械に対し、前記清水港で発生した変節ダイヤルの故障について特に説明して十分な原因究明の措置を講ずべきであつたのに、それをしていないのである。右中間検査においては、業者としては船主からの特段の指示注文がない限り一般的な点検のみしか行わないのが通常である。本船の前記清水港における推進装置の故障が航行の安全に重大な影響を及ぼすものであることは前述したとおりであるから、清水港での前記調査・修理に甘んずることなく、右中間検査においては担当業者に対して適切な指示を与える必要があるというべきである。にもかかわらず、かかる指示がなされなかつたということは、被告において清水港での故障を軽んじていた証左であり、堪航性調査義務を尽したとはいえない。

被告は、本船が中間検査に合格したことをもつて物的堪航性保持の義務を履行したと主張するが、法定の中間検査の通例は前述したように一般的な点検を行う程度であるから、右検査に合格した場合であつても点検箇所以外の欠陥・不備により新たな故障が発生することもあり得るのである。現に、推進機の点検を担当した新和機械は、被告からの指示注文がなかつたので変節ダイヤルの配線チエツクや絶縁抵抗試験を行つておらず、そのため本件配線の被覆の損傷が発見されず、中間検査後も短期間のうちに変節ダイヤルの故障を二度起こしているのである。しかも、本船のように船齢が古く(建造後一一年)その間機器、ケーブル類の更新がなされていない船舶においては、永年の航行による振動や揺れなどによつて右機器、ケーブル類が損傷し、あるいは摩耗することが考えられるのである。このような本船が法定の中間検査の直前に変節ダイヤルに故障を生じ修理が行われた場合には、船主としては右損傷、摩耗による故障の可能性は認識できるはずであるから、被告が中間検査にあたつて右変節ダイヤル故障の十分な原因究明を指示していない以上、相当の注意を尽したとはいえない。したがつて、また右中間検査に合格したことをもつて物的堪航性保持義務を履行したとすることもできない。

(二)  人的堪航性保持義務違背の過失

(1) 被告は、本船の船長として出港間際の昭和五七年八月四日に鈴木利市を採用した。同人は過失に可変ピツチプロペラ船に乗組んだ経験があるとはいえ初めて本船の船長に選任された者であつて、しかも舵を操作するのは本件事故の際が初めてであつた。被告は、右船長の交替にあたつて、堪航性に重大な影響を及ぼす前記変節ダイヤルの故障の事実や本船のもつ船体運動の特性(後進時、船尾が左に振れる)について船長に指示、伝達をしておらず、このため同人はこれらを全く認識していなかつたものである。

船長は一般の船員と異なり、船舶における最高かつ唯一の指揮者であり(船員法七条)、船長の判断、技量が船舶航行の安全に大きな影響を与える。それ故、船舶の唯一かつ最高の指揮者として正しい判断能力と分別能力とを持つた者でなければ、たとえ適法に取得した海技免状の所持人であつたとしても適格性ある船長とはいえないものと解される。本船の船長は前述したように本船の特性についての知識を欠いたまま、「ささかぜ」に衝突する手前約二〇メートルのところで衝突の危険を感じて押ボタン操作により急速に後進をかけたため船尾が左に振れて本件事故を生じさせたものであつて、船長としての適格性を欠いていたものというべきである。

(2) また、漁撈長は本船新造以来漁撈長をしているものであるが、押ボタンによる推進機の操作は非常用の予備的操作であるため、本船建造時に操作説明を受けた以外、その操作を行つたことがなく、また、可変ピツチプロペラの取扱説明書を読んだこともないのであつて、同人が右操作に不慣れであつたことは本人も認めているところである。

(3) 被告は、本船と同様の推進機を装備した可変ピツチプロペラ船を七隻も所有しているが、右可変ピツチプロペラの操作及び変節ダイヤル故障の際の押ボタン操作技術の乗組員に対する研修等は何ら行つておらず、可変ピツチプロペラ船を新造した際の操船技術の習得で事足りるとしている。

船舶の安全航行には、乗組員に対する不断の緊急時における運行管理、研修を含む安全航行上の指示及び教育等が必要であつて、そうでなければ船舶航行の安全はあり得ないのである。

(4) 以上によれば、被告には船舶の安全運行に関し、船主の船長及び漁撈長に対する監督指導に欠けるところがあつたものというべきであり、船主の人的堪航性担保義務違背は免れ得ないところである。

(その第二次的主張 民法七一五条一項に基づく責任)

本件事故は前述のとおり被告の事業執行中にその被傭者である船長、漁撈長の操船上の過失により生じたものであるので、被告は原告に対し、民法七一五条一項によりその損害を賠償する義務がある。

五  よつて、原告は被告に対し、金二八六四万七八九二円及びこれに対する本件不法行為の翌日である昭和五七年八月一一日から支払済みに至るまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求めるため本訴請求に及んだ次第である。

第三請求原因事実に対する認否および反論

一  請求原因事実一項は認める。

二  同二項は不知である。

三  同三項につき

(一)  本船の変節ダイヤルの故障が本件事故の原因であることは認めるが、右故障の原因を変節ダイヤルの電気系統配線が主機関各種ゲージ集合盤の角に接触し、摩擦によりその配線の被覆が損傷していたため、電気が右集合盤とシヨートしていたことにあるとする点は否認する。右故障の原因は後述の経過に徴し、結局不明であるといわざるをえない。

(二)  本件事故の直接原因(近因)が、乗組員の操船上の過失であるとする点は、はじめ原告の主張を認めたが、それは真実に反する陳述で錯誤に基づくものであるから、右自白を撤回し、否認する。本件事故は次の如き経過で発生したものであつて、不可抗力であり、乗組員にはなんら操船上の過失と目すべきものは存しない。即ち、本船が漁場に向けて離岸した直後、可変ピツチプロペラのダイヤル指針が十五度に行つたまま戻らなくなつた。漁撈長は、そのまま岸壁を出て、本船をいつたん朝日埠頭につけようと判断し、船長に舵をまかせ、自ら押ボタンを操作した。そして、港内を最微速の五ノツト未満(五ノツトは秒速約二・五メートル)の安全速度でゆつくりすすめた。しばらくすすむと、ささかぜの手前で、ささかぜから北東約九〇メートルの地点に達した。ここで漁撈長は行き脚を止めようと押ボタンで後進(アスターン)をかけた。ところが後進がかかると突然船首が右に四五度も振れ、しかもピツチは十度にとまつたままとなつた。これでは行き脚がとまらない。そこで今度は機関回転数を三六〇回転・毎分にあげたが、すでにささかぜまで二〇メートルの距離にきておりそのまま衝突した。結局衝突の原因は船首が突然四五度も振れたことと、後進のピツチが一〇度で止まつてしまつたことであるが、船首が四五度も振れることは海上経歴三〇年の漁撈長にも全く予見できないことであつたし、保安部による実況見分でも何故四五度も振れたか、結局わからなかつたのである。また、漁撈長が押ボタン操作を誤つた事実はない。そもそも押ボタンは操作ミスなどおこりようもない単純なものである。緊急用計器たる押ボタンが複雑なものでは咄嗟の場合用をなさないからである。実際、指でボタンを押せばすむのである。結果的にみて操作を誤らず後進(アスターン)がかかつたからこそ、衝突したともいえるのである。一〇度でとまつてしまつた事は、専門家も発見出来なかつた故障があつたものと思われる。ところで、後進をかけた時機は原告主張の通り、ささかぜより北東九〇メートルにさしかかつた時であつた。朝日埠頭は、その先にある。本船の行き脚から考え(五ノツト未満の最微速)十分余裕があつて、ここにも過失はない。

四  同四項につき

(その第一次的主張に対し)

冒頭の主張は争う。船主たる被告にはなんらの過失も存しない。

(一) 物的堪航能力調査、保持義務違背の過失があるとする主張は争う。確かに本船は原告主張の如く昭和五七年六月二五日清水港において変節ダイヤルの故障を訴えた。この事態に対し、船主たる被告が採つた処置は以下(1)ないし(5)として記載の如くである。

(1) 清水港での故障の内容は、「変節ダイヤルを操作しても、後進変節はするが前進変節はしなくなる」というものであつた。かような事故は、まことに奇怪で、万一、風浪の強い洋上で起こつたような場合、乗組員の全滅を意味するので、かれらは大きな不安を感じ直ちに被告会社に通報、専門家の来船と修理を求めた。

(2) そこで被告会社は、変節ダイヤルのメーカーであり専門家を多数抱えている訴外かもめプロペラ社に対し、本船のダイヤル故障の内容を説明し、即刻迅速な修理を依頼した。

(3) かもめプロペラ社の清水港技術部門担当は、平井船舶工業所であるが、同工業所は直ちにその道一五年のベテラン技術者平井利男外一名を変節ダイヤル修理のため来船させた。

右の修理には本船機関長小野寺正明も立ち会つた。

(4)(修理の状況) 機関長が見聞した右技術者ら二名の修理状況は次のとおりであつた。

イ 先ず、アンプの前後進プリント板を新品に取り替えて、テストしたが故障はなおらなかつた。

ロ 次にかれらはスタンド側のポテンシヨン・メーターを新品に取り替えたが、依然として故障はなおらなかつた。そこで、かれらは

ハ 配線のチエツクにかかつた。そして、追縦発信器内のポテンシヨン・メーターの配線部ハンダ付部分がはがれかかつているとして、これを修理した。更に各スイツチを調整した後、作動テストを行つたところ良好に作動し修理は完了した。

ニ 右かもめの変節ダイヤル修理費用は六万八七〇〇円であつた。

(5) そして本船は清水を出港、無事気仙沼港に入港した。もちろん航行の途、変節ダイヤルには全く異常はなかつた。

本船は同年七月二日中間検査(船舶安全法第五条)を受けるため気仙沼港所在の株式会社小鯖造船鉄工所に入渠した。入渠期間は七月二日から二七日までの二五日間であつた。この入渠中は当然前記船舶安全法(以下単に同法という)第二条所定の検査が管海官庁(同法七条)の手によつて微細に行われるが、本件衝突と関係のある電気設備(同法第二条第一項、第一二号)についての修理、検査模様は以下のとおりであつた。

イ 可変ピツチプロペラは株式会社新和機械が担当し、変節ダイヤルについては遠隔装置専門の大嶋電気工業有限会社がこれに当たつた。

ロ 被告会社は清水港での変節ダイヤル故障があつた関係上、プロペラまわり特に変節ダイヤルに関心を持つていたので、直接変節ダイヤルの担当ではない前記新和機械にも作動確認をしてもらつたところ、良好との回答を得た。

ハ ところで前記大嶋電気は、海運局公認の船舶電気ぎ装工事事業者であるが、同電気工業は本船の電気部分四〇項目を修理、交換、塗装などおこなつた上、主機遠隔装置、操縦装置、電源、回路総合は良好であると認定した。

ニ そして同年七月二七日、可変ピツチプロペラ担当の(株)新和機械技術者山口敬造、主機担当の小野幸工業(株)技術者村上松吉、同亀谷功が乗船し機関長小野寺正明ら立会の上で海上試運転が行われた。試運転成績は良好と認定され、変節ダイヤルその他電気まわりもすべて正常であるとされ、この中間検査に合格したものであつた。

ホ ところで、右可変ピツチプロペラまわり、電気まわりの修理、調整、塗装新調等に要した費用は左のとおりであつた。

<1> 新和機械については金一五二万六一五〇円

<2> 大嶋電気工業については金一一六万七一五〇円

しかるに、本船はまたも変節ダイヤルに故障を生じ本件事故を惹起したわけであるが、「造船技術が複雑となつた現在、船主あるいは船長が自ら検査整備をなしえない以上、しかるべき専門家に依頼することが唯一の物的堪航担保義務である」(法律学全集三〇海商法一八五ページ注二)という思考は極めて当然の論理であろう。そして本事件をこれにあてはめてみるとき、被告は漁船船主としてなし得る堪航性保持義務のすべてを履行したものというべく、本件事故前被告に対し、変節ダイヤルの再度の故障の予見と、その結果の回避を要求することは、一漁船船主たる被告に対し、専門家以上の高度の注意義務を要求するものであつて到底承服できない論理である。ちなみに、コンパスの不具合から事故をおこした船の船主が、その事故の前に定評あるコンパス調整人に調整を依頼し、調整が実施されたことを確認した事例で、船主に過失はないとしたイギリスの判例があるが、本件にも十分参酌さるべきものと思われる。なお、本件事故後被告は前記新和機械を呼び徹底的な原因究明を行わせた。同社は技術者熊谷を派遣、原因の調査に当たり、「遠隔操縦装置電気系統部品の劣化により一時的に起こる接触不良ではなかろうか」ということで、とに角不良部分と思われる電気系統部品を全部新替した。そして、今度こそ良好に作動するとの確言を経て、本船は気仙沼港を出港した。ところが、今度は洋上で操業中三たび変節ダイヤルの故障が発生したのである。船長以下は困り果て、とに角機関長が中心になつて懸命に洋上で故障を探り出すことに努めた。電磁弁油圧ポンプ等徹底的に点検したが故障箇所は発見できなかつた。思い余つて機関長が電線を点検したところ、主機関各種ゲージ集合盤に変節軸作動の電線が接触しており、その六本中三本が被覆が破れて集合盤にシヨートしているのを発見した。そこでその部分をビニールテープで補修したところ、変節ダイヤルは再び良好に作動し始めた。その後、気仙沼入港まで変節ダイヤルに異状は発生しなかつたが、気仙沼帰港後、被告会社は前記大嶋電気工業をして右電線の新替えを依頼した。三度目の故障原因が同一であつたが、それとも全く異種であつたのか、もちろん乗組員には判らない。ただ幸いにしてその後、ダイヤル異状は今日まで発生していない。この事後経過自体、本件変節ダイヤルの故障が、専門家にとつても予見困難な事態であつたことを十二分に物語るものにほかならない。

(二) 人的堪航性担保義務違背の主張については争う。

(1) 被告会社は、一〇〇トン以下のマグロ、北洋船三隻、二八四トン型四隻二九九トン型三隻、三四四トン型一隻、合計一一隻の漁船を保有し、うち二八四トン型、二九九トン型合計七隻は可変ピツチプロペラ船としている。その理由は、乗組員が転船したとき、取り扱いに不慣れでは困るからである。

(2) 被告会社は、従前より乗組員の可変ピツチプロペラ船の技術習得に左のような措置を講じてきた。「可変ピツチプロペラの新船を受け取るときは、その操作、新計器の操作が完全にマスターできるまでは新船は受け取らない。押印して受け取るときは、必ず新計器をマスターしていること。」もちろん、押しボタン操作は重要なその一つである。なぜなら洋上ではいつ押しボタンを使用しなければならない緊急事態が発生するかも知れないからである。押しボタン操作が判らず、漂流し生命の危険にさらされるのは乗組員自身であり、船主は貴重な財産を乗組員の技能を信じてこそ委ねるのである。加うるに、本船漁撈長鈴木孝市(乙種二等航海士免状授有)、船長鈴木利市(乙種一等航海士免状授有)は、本船を初め同型船に乗船して、すでに二〇年ないし三〇年の経験を有していた。つまり、乗組員は本船の隅々まで知りつくし、可変ピツチプロペラ船には精通していたものである。原告の人的堪航性担保義務違背の主張は事実にそくせず、理由がない。

(その第二次的主張、即ち、民法七一五条による責任追求に対し)

本件事故が、被告の業務執行中に生じたものであることは認めるが、本船船長、漁撈長の操船上の過失によるものであることは、はじめ原告の主張を認めたが、真実に反する陳述で錯誤に基づくものであるから、右自白を撤回し、否認する(この点、第三、三の(二)において詳述のとおりであり、本件事故は不可抗力によるものである。)。

五  同五項につき争う。

第四責任原因についての第二次的主張(民法七一五条による責任追求)に対する被告の仮定抗弁

仮に、民法七一五条により原告が被告に対し、本船船長、漁撈長らの操船上の過失による損害につき損害賠償請求債権を有することが認められるとしても右債権は(被傭者の代位責任追求の債権である性質上当然に)船舶の所有者等の責任の制限に関する法律(以下単に船責法という。)二条にいわゆる制限債権にほかならないところ、被告は既に仙台地方裁判所気仙沼支部に対し本件事故につき責任制限開始の申立をなし(同庁昭和五七年(船)第一号)、同庁において制限手続開始決定を得ているものであるから、無条件で右制限債権の支払いを求める原告の本訴請求は理由がなく、右制限手続事件の廃止を条件とした条件付判決以上のものは許されないものと信ずる。

第五仮定抗弁に対する原告の認否等

一  自白の撤回に対する異議

被告が、本件事故が本船船長、漁撈長の操船上の過失によるとしていた自白を撤回することには異議がある。

二  制限手続開始の抗弁に対し、争う。

船主責任制限法二条一号は、「船舶」の定義を定めているところ、同法は公用に供する船舶(公用船)を同法の対象外としている。これは、同法が海商法上の従前の委付制度を改めて、私人と私人との間の権利義務関係である損害賠償債権の責任の範囲に関し、一定の限度で特別の定めをしたものである。また、船舶法三五条は、商行為を目的としない航海船にも海商法を準用することとしているが、同条但書により「官庁又ハ公署ノ所有ニ属スル船舶」は準用を排除されている。したがつて、前記船主責任制限法の規定は公用船が加害船となつた場合のみならず、被害船となつた場合も適用されると解すべきである。右のように解さなければ公用船は損害を受けた場合には一定の限度内でしか損害賠償を受けられないのに、損害賠償義務を負担する場合には無限責任を負うことになり、甚だ権衡を失する結果となる。したがつて、本件事故により損害を被つた巡視艇ささかぜが右公用船に当たることは明白であるから、被告は船主責任制限法による責任制限を受けることはできない。

第六仮定再抗弁

仮に本件の如き公用船被害の場合にも、加害船側が責任制限の利益を受けうるとしても、被告は、責任制限の利益を放棄したから、本件事故による損害賠償の責任を制限しえない。即ち、被告代表者は、本件事故の翌日、右事故により生じた全損害につき賠償する意思で、「一切の原型修復の費用のすべてを負担する」旨の誓約書を原告(第二管区海上保安本部長)宛に差し入れた。これは、被告代表者が本件事故について生じた損害については、責任制限の利益を放棄する旨の意思表示をしたものというべきである。したがつて被告は責任制限の利益を受け得ない。

なお、船責法には責任制限の利益を放棄しうる旨の特段の規定はないが、解釈上当然と考えられたためであつて、責任制限の利益を放棄することは自由になしうるところである。

第七仮定再抗弁に対する認否

否認し、争う。

第八証拠関係 <略>

理由

一  請求原因一項の事実は当事者間に争いがない。

二  請求原因二項の事実(損害関係)は、<証拠略>によりこれを認めるに足り、この認定を左右するに足る証拠は存しない。

三  請求原因三項(本件事故の原因と状況)についての認定、判断

(一)  本件事故状況の認定

<証拠略>を総合すれば、本件事故の状況として以下の事実を認めることができ、この認定を左右するに足る証拠はない。即ち、本件事故当日午前一一時ごろ、本船は船長鈴木利市、漁撈長鈴木孝市ら総員一九名が乗り組み、南太平洋海域でのまぐろはえ縄漁操業のため、気仙沼港港町岸壁を離岸した。船長は離岸後可変ピツチプロペラ装置の変節ダイヤルを操作したところ、翼角指針が最大の一五度迄進んで戻らなくなつた。急ぎクラツチを切つて停船させ、機関長に調べさせたが時間がかかるとのことで離岸位置に戻ることも考えたが、係留船が混み合つていたこと、見送り人の目前へ船出したばかりの船を戻すことに気恥づかしさを感じたことなどから、変節ダイヤルによらず非常用の押ボタン操作で翼角を調整しつつ朝日埠頭まで航行接岸して専門メーカーを呼ぶことに決し、漁撈長が押ボタンを操作し、船長が操舵して湾内を五節以下の微速で前進し朝日埠頭に向かつた。同埠頭に近づき、係船中の「ささかぜ」の北東約九〇メートル地点に達した際、漁撈長は接岸に備え行脚を止めるため押ボタン操作で翼角を逆転しアスタン(後進)をかけたところ、本船は船尾を左に(船首を右に)振り、係船中の「ささかぜ」に向う態勢となつた。しかも一二、一三度まで行く筈の後進翼角が一〇度附近迄しか進まず、押ボタン操作の系統にも故障があることがわかり、これでは行脚を止めるに不十分で「ささかぜ」に衝突する危険も生じたため、急ぎ機関回転数を毎分三六〇回転に上げて後進推力を強化したが時既に遅く、本船と「ささかぜ」の距離は二〇メートル余しかなく、前進行脚も止まらず、船首進行方向もますます右に偏して四五度に達しそのまま「ささかぜ」に衝突した。なお、操舵中の船長はそれまで正中となつていた舵を機関回転数を上げると同時頃、面舵(右舵)一杯としている。

(二)  本件事故の原因についての考察

(1)  本件事故の一因(遠因)が可変ピツチプロペラの変節ダイヤルの不調にあることは当事者間に争いがなく、右不調の原因が、可変ピツチプロペラの自動遠隔操縦装置の電気系統配線が主機関各種ゲージ集合盤の角に接触し、摩擦によりその配線の被覆が損耗して芯線が右集合盤とシヨートしていたためであることは、<証拠略>により明らかというべく、この認定に反する証拠はない。

(2)  本件事故が本船乗組員の操船上の過失によるものであるか否かの認定、判断

この点については、被告が自白の撤回をしているので、先ず右自白の撤回が、真実に合致したものと認められるか否かを検討する。<証拠略>によれば、本船と同様の右旋一軸単暗車船にあつては機関後進をかけた際、船尾を左に振る傾向が一般的で、しかも、可変ピツチプロペラ船では右の傾向が一層顕著に現われるものであり、本船も右一般的例の例外ではなかつたと認められる(この認定に反する証拠はない。)ところ、先に認定の本件事故の状況によれば、本船船長、漁撈長らは「ささかぜ」を船首右手前方九〇メートルに望む地点で後進をかけ、予期の如く船尾が左に振られるや、偶々後進翼角の変節が不調で一〇度迄しか進まず十分な後進推力を得られないことから機関の回転数を増し(この措置は船尾にかかる圧力差を増大させ、船尾の左偏向を助長するものにほかならない。)、あまつさえ船長は前進行脚の失われないうちに、舵を正中から面舵(右舵)に転じる(結果として「ささかぜ」の方向に舵を取つたものにほかならない。)などしているものであつて、右操船に過失なしとは到底解されないところである。従つて、右に関する当初の自白が真実に反し、錯誤によるものとは認められないから、右自白の撤回は許されず、本件事故は本船乗組員の過失によるものというのほかはない。

四  請求原因四項(被告の責任原因)についての判断

(民法七〇九条を責任原因とするその第一次的主張について)

(一)  物的堪航能力調査、保持義務違反の過失の存否判断

(1) 原告主張の事実関係のうち以下(イ)ないし(ヘ)として掲げる各事実は、被告において明らかにこれを争わないから、自白したものとみなすことができる(なお、一部関連の認定事実を附記する。)。

(イ) 本船が本件事故前の昭和五七年六月二五日清水港へ入港の直前にも、装備の可変ピツチプロペラがハンチング現象を起し、変節ダイヤル操作では制禦不能となるという本件事故時と類似の故障を起したこと(なお、<証拠略>により、ハンチング現象とは可変ピツチプロペラの翼角が固定出来ず、ふらつきを生じる現象と認められ、この認定に反する証拠はない。)

(ロ) 右故障に対し、被告は本船装備の可変ピツチプロペラの製造業者であるかもめプロペラ社に修理を依頼したこと

(ハ) 右依頼に対し、かもめプロペラ社は同社のサービス特約店である平井利男らをして臨場検査をさせたこと

(ニ) 同人らは、追縦発信器内のポテンシヨンメーターの配線の半田付が取れかかつているのを発見し、これを修理したところ、変節ダイヤルが正常に作動するようになつたので、これで修理完了とし、それ以上に電気系統配線の調査、点検は行わなかつたこと

(ホ) 被告代表者は右故障当時清水港に居合わせたが、特に電気系統配線の点検、調査迄は依頼しなかつたこと(<証拠略>によれば、被告会社で船舶整備と運行管理担当の取締役である同証人もかもめプロペラ社に技術者派遣方を電話要請したのみで、特に電気系統配線全般の点検調査は依頼していないものと認められ、この認定に反する証拠はない。)

(ヘ) 本船は、船舶安全法五条に基づく中間検査を受けるため、昭和五七年七月二日から同月二七日迄の間、気仙沼港所在の株式会社小鯖造船鉄工所に入渠したこと

(2) また、原告主張の事実関係のうち、被告との間に争いのある事実関係も以下(イ)および(ロ)として掲げる如く、すべて証拠により原告主張のとおり認定されるところである。

(イ) <証拠略>を総合すれば、被告は前記本船の中間検査時、施行業者に対し、清水港で発生した前記故障と修理の経過につき特に説明をして、その原因究明方を依頼したりはしなかつたことが推認され、この認定に反する<証拠略>には措信しえない(なお、右掲証拠のうち<証拠略>については、<証拠略>と共に、被告において海上保安官が捜査権限を行使し、刑事手続のためとの外観を呈しつつ、本訴の為の資料を収集したもので訴訟における信義則に反し証拠能力がないと主張するところであるが、右各証拠の外観、体裁、記載内容からみていずれも殊更に刑事捜査の外観を装つて収集した資料であるとは認められず、訴訟における信義則上証拠として許容できないものであると迄は解されないところである。)。

(ロ) <証拠略>により本船は本件事故時既に建造後一一年を経その間、機器、ケーブル等の更新がなされていなかつたことが認められ、この認定に反する証拠はない。

(3) 以上によれば、原告が、被告に物的堪航能力調査、保持義務違反の過失があるとする前提の事実関係および右事実関係の下での被告の作為、不作為についての主張事実は、すべて実質的には争いがないか、若しくは証拠上認められるということになるから、結局この項に関する唯一実質的争点は、被告において本件事故前先に認定した本件事故の物理的原因(即ち、可変ピツチプロペラの自動遠隔操縦装置の電気系統配線が主機関各種ゲージ集合盤の角に接触し摩擦により配線被覆が損傷して芯線が露出し、右集合盤とシヨートしていたこと、以下この瑕疵を本件事故の物理的原因と略称する。)を予見して、本件事故時に発生した再度の可変ピツチプロペラの制禦不能を事前に回避すべき法律上の義務があつたか否かという法的判断に帰着することとなる。そこでこの点を考えるに、(イ)<証拠略>によれば、ハンチング現象に対する第一次的チエツクは、油圧系のトラブルを疑い電磁弁の作動不良、油洩れ、シリンダ内への空気混入を点検すべく、これらに異常ない場合は次にポテンシヨンメーターの接触不良を疑い、これにも異常ない場合は増巾器の不具合を疑い、メーカーへの連絡を求めるものとなつていて、本件事故の物理的原因の如き事態を予想してはいないものと認められ(この認定に反する証拠はない。)、(ロ)<証拠略>によれば、同証人は、かもめプロペラ社の可変ピツチプロペラの点検整備につき一五年の経過を有する専門家ながら、過去において本件事故の物理的原因の如きを経過したことがないため、清水港における前記故障修理にあたつて本件事故の物理的原因の如きを全く予想しなかつたものと認められ(この認定に反する証拠はない。)、(ハ)<証拠略>によれば、本船は前記清水港での故障、修理の後途中何事もなく気仙沼港に回航していることおよび前記中間検査後も湾内で一応の試験航走をして異常がなかつたことの各事実が認められ(この認定に反する証拠はない。)、(ニ)<証拠略>によれば、被告はいずれもかもめプロペラ社製の可変ピツチプロペラを装備した遠洋漁船七隻を所有しており、その運用実績は一〇年にもなるが、その間、本件事故の物理的原因の如き故障を経験したことがないものと認められ(この認定に反する証拠はない。)、(ホ)<証拠略>によれば、再度の可変ピツチプロペラ不調に基因する本件事故という重大事態を惹起した後においてさえ、徹底的原因究明と修理を依頼された可変ピツチプロペラの専門業者新和機械の技術者達ですら、本件事故の物理的原因の如きには思い至らなかつたこと、また被害者たる第二管区海上保安本部関係者(まさに専門家集団と思われる。)中にも本件事故状況の再現実験などは行つたものの右原因を疑う者はなく、本船は船橋側の可変ピツチプロペラ遠隔操縦装置の制禦関係部品を一新したのみで修理完了したものとして漁場へ向け再度の出航を許され、南太平洋上において三度目の故障を生じ一昼夜の漂泊の後漸く機関長が、本件物理的原因を発見するに至つたものであることが認められ(この認定に反する証拠はない。)るのであつて、右(イ)ないし(ホ)の各事実を考慮に入れると、被告に対し清水港における一回の故障があつたからといつて、本船に本件事故の物理的原因の如き物的不堪航の原因がありうることを予見し、本件事故時に生じた可変ピツチプロペラの制禦不能を回避するための調査点検をなすべき法律上の注意義務があつたとすることは、結果論から出て難きを強いるものであるとの感を禁じえないものがある。従つて、被告に物的堪航性調査、保持義務違背の過失があるとする原告の主張は理由がない。

(二)  人的堪航性保持義務違背の過失の存否判断

(1) 原告が、被告の過失をいう前提事実中船長関係のものをみるに、被告が本船船長として出港間際の昭和五七年八月四日に鈴木利市を採用したこと、同人は過去に可変ピツチプロペラ船に乗組んだ経験があるとはいえ、初めて本船船長に選任されたものであること、被告は右船長の交替にあたつて、清水港における変節ダイヤル故障の事実や、本船が後進時船尾を左に振るくせを有することを伝達しなかつた事実および同人が本船の右運動特性を認識していなかつた事実は、<証拠略>によつて認められ、この認定を覆すに足る証拠はないが、その他の原告主張の前提事実即ち、鈴木利市が本船の舵をとるのは本件事故当日が全く始めてであつたとの事実、同人が押ボタン操作をしていて「ささかぜ」の手前二〇メートルのところで急速に後進をかけたとの事実はこれを認めるに足る証拠はない(前者については<証拠略>により本件事故当日以前に商港岸壁より出発点の港町岸壁まで短距離とはいえ回航した事実が認められるし、後者については、前認定の如く押ボタン操作は漁撈長鈴木孝市がこれをしたものである。)。

(2) 次に過失主張の前提事実中漁撈長関係のものをみると、本船漁撈長鈴木孝市は、本船新造以来一〇年余その漁撈長をしているものであるが、押ボタン操作による推進器の操作は非常用の予備的操作であるため、本船建造時に操作説明を受けた以外、その操作を行つたことがなく、また可変ピツチプロペラの取扱説明書を読んだこともなかつたことは、<証拠略>により認めることができ、この認定を覆すに足る証拠はない。

(3) また過失主張の前提事実中被告関係のものをみると、被告が、本船と同一メーカー製の可変ピツチプロペラ船七隻を所有していることは前認定のとおりであり、可変ピツチプロペラの操作および変節ダイヤル故障の際の押ボタン操作技術につき乗組員に対する格別の研修教育等は行つていないことは<証拠略>から認めるに足り、この認定に反する証拠はない。

(4) 問題はここでも以上認定の事実関係から、被告に人的堪航性保持義務違背の過失があるといえるか否かの法的評価にかかることとなる。確かに以上認定の事実関係のみをみる限り、被告には右過失があるとの主張は一理あるもののように思われなくもない。しかしながら、<証拠略>により認められる本船船長鈴木利市は乙種一等航海士の資格を有し、昭和四二年来船長経験を有し、昭和四八年来引続いて本船と同一メーカーの可変ピツチプロペラ装備船に乗船している者であること、本船漁撈長鈴木孝市は乙種二等航海士の資格を有し、昭和二七年来漁船船長若しくは漁撈長として乗船しているものであり、昭和四七年からは引き続き本船に乗務しており、本船の特性等はこれを熟知しているものである事実(証人鈴木孝市の証言中一部この認定に反する部分には、<証拠略>に照らし措信せず、他に以上の認定を覆すに足る証拠はない。)、前認定の如く本船と同種推進器装備の船舶は後進時船尾を左に振るものであり、右偏向は本船特有のものでなく、資格を有するほどの船乗りであれば特に連絡指導を受けるまでもなく知るべきものであると考えられること、証人鈴木孝市、同鈴木利市の各証言により認められる押ボタン操作は特に習熟を要する種類の難かしい操作ではないとの事実に徴すれば、被告が鈴木利市の技量を信じて本船船長としたこと、同人に特に本船の運動特性を伝えなかつたこと、乗組員に対し押ボタン操作の研修等を実施していなかつたことを把えて、被告に通常の漁船船主としての人的堪航性保持義務を尽さぬ点があつたものとは認められない。また原告が主張するような押ボタン操作技術についての研修等が行われていれば本件事故を避けえたものとも認めるに足る証拠はない。いずれにせよ人的堪航性保持義務違反の主張も理由がないというに帰する。

(民法七一五条一項を責任原因とするその第二次主張について)

本件事故が、被告の業務執行中に生じたものであることおよび本船船長および漁撈長らの操船上の過失によるものであること(自白の撤回が理由のないことについては既述のとおり)は当事者間に争いがなく、本船船長および漁撈長が被告会社の被傭者であることは被告において明らかに争わないからこれを自白したものとみなすことができる。従つて、民法七一五条を根拠とする責任原因の主張はその限りで理由がある。

五  民法七一五条による責任追求に対する仮定抗弁についての認定判断

<証拠略>によれば、被告は仙台地方裁判所気仙沼支部に対し本件事故につき同庁昭和五七年(船)第一号事件として、船責法に基づく責任制限開始の申立をなし、同庁はこれに対し昭和五八年一月二四日午前一〇時付をもつて制限手続開始決定をなしたことが明らかである(加えて、同決定に対し、船責法二九条による即時抗告の申立がなく、同決定が既に確定していることは当裁判所に顕著なところである。)。そうであるとすれば、原告が被告に対し本船船長らの操船上の過失による損害につき、民法七一五条により有する損害賠償請求債権を行使することは、(右債権がその代位責任追求の債権たる性質上、船責法二条にいわゆる制限債権にほかならないから、)同制限手続事件の廃止がなされない限り、許されないものといわざるをえない(同法三三条後段)。結局この抗弁には理由がある。

なお、船責法は公用船加害の場合のみならず、公用船被害の場合にも適用されないものと解すべきであるとする原告の主張は、(1)従前船舶法三五条の規定を基に公用船については加害、被害の場合を通じて海商法の規定を適用(若くは準用)せず、民法若くは国家賠償法の規定によることとされていたことと、(2)船責法は従前海商法の適用された分野にのみ適用があることの二つを前提に公用船については従来どおり加害、被害の場合を通じて専ら民法若くは国家賠償法の適用があつて、船責法の適用がないとの結論を導かんとするものと解されるが、右のうち(1)の前提は正当なるも、(2)の前提は首肯しえず(船責法の文理や構成上、民法上の債権も同法により制限されることは当然のこととされているものとしか解されない。従つて従前海商法の規律した分野にのみ船責法を適用するとの趣旨は読みとれない。)、結局、原告の右主張は採り難い。その結果、同法の明文上公用船加害の場合は同法を適用しないことが明らかであるから、公用船は被害の場合責任追求を限定され(相手方有限責任)、加害の場合は無限責任を負うこととなつて権衡を失する結果となることは原告指摘のとおりであるが、右結果はやむをえないものといわざるをえない。

六  仮定再抗弁に対する認定と判断

<証拠略>によれば、被告会社代表者小山正一郎は本件事故の翌日、第二管区海上保安本部長宛「昭和五七年八月一〇日一一時一七分頃気仙沼湾内に於いて当社所有第55幸栄丸が同湾内に係留されておられた巡視艇ささかぜに衝突し、艇本体等を損傷致し損害をあたえましたが、これが一切の原型修復の費用のすべてを負担することを誓約致します。尚本復旧迄の諸対策についても貴部の指示に従います。」と記載のある誓約書一通を差し入れたことは明白であり、この認定に反する証拠はない。また船責法の利益を船主が放棄することは明文の規定はないが自由であると解されることは原告主張のとおりである。しかしながら、右本人尋問の結果によれば、右誓約書作成当時被害者側の第二管区海上保安本部も、加害者側の被告代表者も、ささかぜの損傷程度を比較的軽く、その復旧費はせいぜい四ないし五〇〇万円程度と予想し、右予想を前提に右誓約書を作成したものと認められる(この認定に反する証拠はない。)ところ、右予想額は本件事故に関する船責法による本船の責任限度額六九〇万円(船責法七条一項一号、八条、船責法施行令一条に基づく計算による。)よりも少ないものであるから、右誓約書から被告が船責法上の利益を放棄したものと解することは出来ない。従つてこの再抗弁には理由がない。

七  まとめ

以上の如くであるから、原告の本訴請求は仙台地方裁判所気仙沼支部昭和五七年(船)第一号船舶所有者等責任制限事件の責任制限手続が廃止された場合に限り、前認定損害額およびこれに対する本件事故翌日以降の民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払いを求めるものとしては理由があるが、その余の請求部分は理由がないので棄却を免がれない。そこで訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して主文のとおり判決する次第である。

(裁判官 須藤浩克)

別紙 損害額一覧表 <略>

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